東日本大震災から3年経って

明日で東日本大震災から3年ですね。

節目の時ということで、日本全国を歩いてきた私が、東北と日本の未来について考えていることを話したいと思います。


私は、正直、東日本大震災が起こって、本当に良かったと思っているんです。

いや、もちろん良いわけがないんですけど、

私は小学校の頃から(もう20年前だ!)環境問題に興味を持って、ずっと勉強したり活動したり働いたりしてきたんですが、3年前までは「きっと日本はこのまま、自然環境・人口・経済・政治など様々な問題を先送り先送りにし続けて、いいとこあと50年くらいで滅びるんじゃないかな」と思っていたんです。

でも、東日本大震災があって、日本の多くの人たちが、リアルに、現在と未来のことについて考えるようになったんじゃないかと思うんです。
「地域とはなにか」「国とはなにか」「自然とはなにか」「環境とはなにか」「経済とはなにか」「産業とはなにか」「人間とはなにか」「幸せとはなにか」「生きるとはなにか」
それぞれ程度はともあれ、多くの人がこれらの事柄に直面して、自分なりの解答を持つように、持たざるをえないようになった…んじゃないかと私は思っています。

復興とはなんでしょうか。

壊れた街を作りなおして、海水をかぶった畑で野菜をつくるようにすることでしょうか。
税金をたくさん使って、避難している人を呼び戻すことでしょうか。

私は、物や街の復興はしなくていい、いや、するべきでないと思っています。

本当に、人の幸せを考えるならば、物的な復興はするべきではないと思っています。

これから人口・経済が縮小していくことが確定している日本において、地方都市にお金と人を使うことは間違っています。
壊れた街は棄てるべきです。
ものすごいバッシングされそうですが、ちゃんと言います。
壊れた街は、廃棄物の処理など最小限の労力・金額(それでもすさまじいロスですが)しか掛けるべきではないです。

例えば、私はこれから「新陸前高田(適当な名前をつけました)」で生きようとは思いません。妻も子供も恋人もいない私ですが、経済的に文化的に圧倒的に停滞が免れない地域で余生を送りたくありません。

関東地方に避難してきている人はどうでしょうか。もちろん個別に感情はあるでしょうが、たとえば私が小さな子供を持つ親であったなら、絶対に戻らないでしょう。3年間、都会の学校で子供を勉強させることができたのならば尚更です。しかも帰ったところで、もうかつての街はないのです。いったい誰が好き好んで、浦島太郎の真似事をするでしょうか。

↑酷いことを言いました。ごめんなさい。でも私の本音です。

いま、大きな予算をかけて農地の復興をしようとしています。
立派なことです。すごい技術力です。
でも、一体誰がそれを望んで、誰が耕すのでしょうか。

私は(うちにも多少農地あるし、残すつもりだけど)、畑を耕す労働に自分の一生の時間を捧げるのは絶対に嫌です。
お前はなんて罰当たりなやつなんだ、と言う人もいるでしょう。
じゃあ、お前がやれよ!! と私は言いたいと思います。
これは小学生の喧嘩ではなくて、極めて当たり前な問いかけです。やりたい奴はやればいい。でも自分のお金と時間を使ってやれ。それ以上でもそれ以下でもない。

就活生に聞きたい。人生の残り70%くらいを農業に費やせるのかと。
新入社員に聞きたい。何らスキルの身につかない労働をずっと続けたいのかと。
中堅社員に聞きたい。ごくごく僅かな収入で誰と生きていけるのかと。
年配の社員に聞きたい。…そろそろ引退しない? と。←笑うところ

私は畑はある程度はやるつもりですけど、はっきり言って、とても投資効率が悪い生き方だと思います。全くオススメできません。やりたい人は自分のお金で自分のためにやって欲しいです。応援はします。

また、私は輸送コストや移動コスト・そのために消費される資源という観点からも、地方都市を全く推奨していません。
経済成長期ならばいいと思いますよ。でも、いま、ゆるやかな撤退戦をしようとしているこの国で、戦線を遠くに維持しておける余裕はないんです。
「どこに行くにも一人一台、車が必要だよね」とか言ってられる時代ではなくなったんです。
そのコストを、誰も払えなくなります。
私はそうなった町や村をたくさん見てきました。

こんな酷いことを言っていますが、私はなにもエアコンの効いた部屋でテレビを見ながら言っているのではありません。これでも、数多の街を歩いて民俗学をベースに人間と自然との関わりを自分なりに考えて行動してきた男です。私は今、ある意味自分の理想を裏切るようなことを言っています。でも、そのほうが絶対に多くの人の未来の幸せにつながると思っているので言いました。

3年が経ちました。

私たちは、自分たちのすぐとなりで東北の悲鳴を聞き、日本の未来かもしれない姿をそこに見たのではないですか。

私は見ました。見てよかったと思います。
考えることが、できました。

私は、他人の不幸を他人事として考えることの罪深さを背負い、私は心から東日本大震災が起こってよかった、と言います。

未来の為に生きよう。
未来を見て集まろう。
未来に向かって働こう。

あの大きな悲しみが、未来の日本と世界を生かすことを私は願っています。