岩手三陸海岸を征く 〜宮古海岸散策編〜
行程二日目は朝チュンから始まった…
鳥は全く鳴いてなかったけどね!台風だったからね!!
ガチ寝して8時に起床しました。
布団の回復力マジぱねえっす。
すぐ近くに魚鮮市場があると聞いたので、朝ご飯はそこでいただくことにしました。
まさしく魚市場!近所のおばちゃんたちが採った野菜とかも売ってたよ!
ご飯は朝っぱらから海鮮丼的なのを頂きました。
調子に乗ってます。
雨は弱まっては来たものの、さすがにザックを背負って長距離航行はキツかろうということで、宮古を拠点に当初の目的であった海岸周りを歩くことにしました。
ご飯を食べたら、荷物を宮古駅の待合室にこっそりちゃっかり置かせてもらい、川沿いを歩き始めました。
宮古駅の裏手から、川沿いを歩いて海を目指します。
河に渡してある大きな取水パイプ?の上にカモメ(ウミネコ?)がびっくりするほどたくさん止まっています。何でまたこんなところに…?
トレモロちゃんの調査によると、カモメとウミネコの違いは、
カモメ:くちばしが黄色、しっぽが白い
ウミネコ:くちばしが黒と赤、顔つきが精悍、しっぽが黒い
ということだそうですので、今回見た鳥はどうやらウミネコのようです。
漁船が見えてきたので、船着場に降りて海沿いを歩きました。
網で取るだろう漁船、イカ釣り漁船、警察の船(何故か東京都警視庁の船だったけど)… それぞれ船の上がちょこちょこ改造してあったりして生活の跡が楽しいです。
(撮影:トレモロ)
そのまま海沿いを歩いて、景勝地の浄土ヶ浜方面に向かおうとしたところ、なんかスゴイ構造物発見!!
(撮影:トレモロ)
こ、これは森の神殿ですか…ッ!!??(♪迷いの森)
いいえ、こう…崖を補強するコンクリ的なアレです…?
いやでもほんとそんな感じでした。古びたコンクリート×侵食する植物ってカッコよすぎですね。多分奥行きはそこまでじゃないし、階段とかもないのだろうけど、それがなお一層不思議な感じを出していました。
道の駅でちょこっと休憩して、竜神崎を目指します。(道の駅の外れにあるトイレ併設の休憩スペースが野宿に使えそうです。吹き込みもないしロケーション最高かも)
まるで戦場に向けて布陣しているかのような漁船の群を横目に小雨の中を歩き、岬につくと…
龍神の祠が壊れていました!!??
これは震災の時に壊れてしまったのでしょうか…?
なんというか、「信仰の失われた聖域」って、ちょっと考えさせられてしまいますね… 不謹慎と言われるかもしれないけど、ちょっとお話を作ってしまいたくなります。信仰を失った人間と龍神の怒りの物語、みたいな。
そこから坂道をちょっと歩くと、すぐに景勝地・浄土ヶ浜エリアに入ります。ビジターセンターで軽く予習をしつつ、まずは展望台へ…
(撮影:トレモロ)
あ、なんかもしかしてココすげえきれいなとこなんじゃないの?(今頃気づいた。遠景をみると、規則的に亀裂の入った巨大な白い岩盤がこのエリア一帯を形成していることがわかります。
海岸の方に降りてみました。
ウミネコちゃんです!!子どもは焦げ茶でピーピー鳴いてて超可愛いです。翼広げると結構迫力あるけど!!
ここにきて、ウミネコが取水パイプに止まっていた理由がわかりました。
あの子たち、枝に止まれないんだわ。水かきだから。
そう、つまり、取水パイプに止まっていたんじゃない。乗っかっていたんですね。乗っかれるほど平面的なものが、川沿いでは大きなパイプしかなかったからそこに集まっていたんですな。水鳥おもしろいww
無数のひび割れが入った岩盤を見ながら浜辺へ。
不思議なことにここの岩盤、特定の方向にキレイに割れてるんです。いや、完全に平行に割れてるなら、多分それは堆積岩だろうから理解できる。ここの岩盤、少なくとも3方向に対して、平行に亀裂が綺麗に入ってるんです。こんなのはじめて見たよ!!
せっかくこんなきれいな岩なので、私の二刀流を披露するしかないみたいだな!!
(撮影:トレモロ)
ザンッ!!
…はい、すみません。調子に乗りました。
浄土ヶ浜の正面浜辺はこんなかんじでした。こないだ行ってきた青森の仏ヶ浦に匹敵する不思議な空間でした…!光量が少ないのもあり、なかなか伝えにくいのがもどかしい。
(撮影:トレモロ)
さて、帰りは21時のバスなので、早めに宮古の町に帰ってご飯にしましょうかね。
あちこちうろついて結局決めたのがココ、
割烹おかめ
もともと代々塩麹を作っていた家ですが、料亭も併設し、美味しい料理を出しています。
最後だし調子に乗って美味しいご飯を頂きました(調子乗りっぱなしだろというツッコミはスルー)
さすがに銭湯に入る時間はなかったので、大急ぎで荷造りして宮古にさよならです。また来るよ!
こんどは、久慈を目指す始まりの街として。
…ということで、バタバタでしたが、そんな感じで岩手に行ってきました。
私は基本的にぼっち旅行をするんですが、今回、一人では気づけないことを色々気づくことができました。自分が普段何を考えているのか。何を考えていないのか(前提にしているのか)。何を見て、何を見ていないのか。そして、見逃しているいろいろな景色があるということ。それをあらためて知る事が出来ました。トレモロちゃんありがとうございました。
今回、私の段取りが悪い上に天候も悪く、私が伝えられたことはごくわずかではありましたが、ぜひ適度に参考にして、旅ライフにチャレンジしていってもらえたらと思います。もしこれに懲りなかったら… またどこか行けたら嬉しいです。
当初の目的は…?
私は今回の行程を通して、「生きている人の強さ」を感じました。
震災で、たくさんの人が、何かの形で何かを失いました。
どうしても私たちは失ったものを見てしまいがちだけれど…
遺された人が、生きている「人」が、街を作って生きているんです。
ここは死者の街なんかじゃない。私たちがつい心に影を落として眼差しを向けるその場所では、生きている人間が、一生懸命人生を繋いでるんです。
その姿を、光景を、街を道を、私はわすれない。
今度東北に行くときは、三陸海岸第三回・北リアス線コースにチャレンジします。
三陸鉄道といえば久慈ありす!
自分の力で久慈に到達して、こはく色の記憶を私の人生に刻みたいと思います。いつになるかはわかりませんが、とりあえず冬と台風の季節以外に行きたいと思います…(^_^;)
ではでは。
岩手三陸海岸を征く 〜南三鉄・山田編〜
こんにちは、燈です。
前の日記が3月末とか信じられませんね。
例大祭とアリスオンリーはどうしたんだ…
8月9〜11日、岩手県の被災地域に行ってきました。
以前に行ったのが震災が起こった3ヶ月後、2011年の6月だったと思います。
ものすごくショックを受けて、3ヶ月間何もできなくて、ようやく動けるようになって私がやろうとしたのは、ボランティアではなく、バックパッカーとして自分の足でそこを歩き、自分の目で見て、話して、知ることでした。
そして、それから3年。
私はずっと自分の中である解答を出せずにいました。
それは「なんで生きてしまっているのか」ということ。
なんで私は震災で死ねなかったんだろう、という疑問が私の中にずっとありました。…いや、死にたいとかじゃなくて。
極端な話、私は復興とかしなくていいと思ってるのですが、そこで暮らしている人はどう思ってるのか、いま、あの、街だったところはどうなっているのか。それをもう一度確かめたい。そして、生き延びてしまっている私は一体何なのかを知りたい。
そう思って、再び彼の地に行くことにしました。
…なんて言いつつ、ゼミの後輩・トレモロちゃんを誘って行ったあたりに、そこはかとなく下心が見えます。
いや、トレモロちゃんは非常に独特というか真摯な考察をする子なので、ゼミ飲み以外でもいろいろ絡みたかったんだよほんとだよ!旅をして見聞を広めたい、と以前言ってたので誘ってみたんだよ!
何はともあれ…
行ってきました岩手三陸。
前回は盛(大船渡)から陸前高田・気仙沼方面に南下していきましたが、今回は逆に釜石方面に北上するルートで行きます。
東京・池袋から夜行バスに乗って盛の町まで行きます。
早朝の通り道が、ちょうど3年前に歩いた道でした。
滅亡の色に染まっていた気仙沼は、すっかり瓦礫の除去が終わり、港には大きな船が浮かんでいました。一回部分が蹂躙されていた南気仙沼の市街は、だいたい元の形を取り戻したように見えました(駅の近くは見えなかったのでわかりませんが)
陸前高田は、かつて街があった平地の瓦礫は概ね撤去が終わっていましたが、建物は建っていないように見えました。役場が小高い丘の上に移動していたりするのを見ると、そのほうがいいのかなぁ、なんて思いました。
落ち着いて考えてみれば、「津波が来た場所」というのは、「津波が来た場所」なんですよね。もう一度同じ津波が来たら、同じように壊されて同じように人が死ぬんです。大変な被害を受けた教訓があるのに、それでもあえて同じ場所に住もうという選択は、ありえない。
それでも「そこにまた街を作る!」「ここで生きる!」という人がいるのであれば、私はそれを心から応援したいと思います。
ただし、税金は使うべきじゃないと思うけど。
そもそも向こう数十年で撤退戦を強いられる日本経済において、地方に税金を投下するコト自体が難しいし、するべきじゃない。それでも「復興支援」をするのは「政治」故でしょう。
それはそれで仕方ないし別にいいんだけど、少なくとも、「津波の被害に遭った人を、また津波に遭いやすいところに住まわせる」ことは、正しくないことなんじゃないか、私は陸前高田を見てそう感じました。
盛駅でおにぎりを食べて、まずは山を越えて三陸駅まで向かいます。
集落の神社で休憩させてもらいつつ、坂道を進んでいきます。
(五葉神社だって!!カッコイイ!!境内にはやっぱり楓の木がありました)
途中で、黒いアゲハ蝶っぽい蝶を見かけました。
大興奮してパシャパシャ撮ってたんですが、ぶれまくってて上手く写りませんでした(´・ω・`)…
「道の駅さんりく」で早めのご飯とソフトクリームをGET!
ト:北海道メロン
燈:限定☆柿
…どう考えてもメロンのほうが美味しそうだ!
ちなみに柿は多分、「干し柿」味だったんだと思う。素朴な甘さ。あと妙に食物繊維が多かった。
ここで行程と進む速度を確認。
吉里吉里の街を見たい、というトレモロちゃんの希望もあり、次の「吉浜」の駅で三陸鉄道に乗って距離を稼ぎつつ、釜石→吉里吉里→道の駅やまだで野宿という方向に予定を修正。
道の駅さんりくを出発して峠のトンネルに向かいます。
途中で蛇が出たり、服を落としたりとアクシデントがあったものの、順調に歩を進め…
しかしここで私の読み違いが発生!!
…吉浜にギリギリ間に合わない…!((((;゚Д゚))))ガクブル
少し足を早めつつトンネルを抜けると、眼下に拡がる湾に向かって線路が伸びています。駆け下りていきたいところですが、こんなところで転んで怪我してもアホらしいし、トレモロちゃんは引きこもり(燈の偏見)なので…
ぎりぎりになってから走りました(結局走ったんかい!!
二人とも汗だくの状態で吉浜駅に駆け込んだのがギリギリ3分前でした。トレモロちゃんごめんよ。先輩の言う「もう少し」ほどアテにならないものはないぜ!
三陸鉄道は一両編成ですが、中は帰省の親子連れや旅行者など、たくさんの人の笑顔があふれていました。途中の各駅の幾つかは津波に流されたり倒壊したりして、新築・修繕されていました。
やっぱり、鉄道というのは人の笑顔をつなぐ希望なんだな、と実感しました。
釜石駅からは山田線に乗りたいところですが、残念ながらまだ運行していません。釜石・宮古間は、現在、代替交通としてバスが運行している状態です。
発車まで少し時間があったので少し周りを見てみると、なんとホームにSL銀河鉄道があるじゃないですか!!!
慌てて駆け寄り、車庫入れの様子を見せていただきました。
SLが動いてるとこなんて久しぶりに見たわ…!!
15時過ぎに吉里吉里に着くと、ぱらぱらと雨が降ってきました。
というか、日本列島に台風が直撃していたのに、ここまで降ってなかったんですよ。適度に曇って超過ごしやすかった。
吉里吉里は言わずと知れたエロゲエンジン…じゃなくて、小説の舞台ですね。
駅舎の影に荷物をおいて、浜辺の町をうろつこうとしたら、偶然、復興ミニイベントの会場に遭遇!!新発売の「わかめカレー」をごちそうになったり、FM岩手のお姉さんにホタテ(でかい)をごちそうになったりと、大変お世話になりました(もちろんその後コメントを求められたが…)。
なんか、東京から来た夫婦という扱いになってたけど、付き合ってすらいませんでしたすみません。
とにかく東北の海の幸(゚д゚)ウマー
そして地域の皆さんいろいろお話いただいてありがとうございます。
この町も沿岸部の倒壊した地域の片付けは概ね終わってたけど、新築はされてないみたい。ほんと永遠の課題ってかんじですね。
再びバスに乗って、道の駅やまだを目指します。
しかし嗚呼、熱帯低気圧よ。
無慈悲にも強まる雨風!!
道の駅やまだは、ちょおおおおおおおおっと野宿にはキツイ状態になっていました。
ぶっちゃけ私一人なら完全防御すればそりゃあ寝れるっちゃ寝れるけど、下心的にトレモロちゃん一人で宮古まで行ってもらってもつまんないし、迷った挙句、二人とも宮古の町で宿を取ることにしました。
…え、いい年した男女がそれで大丈夫なのかって?
何を隠そう、私は国家資格持ちの「鋼の草食紳士」ですし。夏コミを目前にして、その心揺るがぬこと山のごとしです。
結局、同じ宿をとって、近所の酒屋さんで地酒・つまみを買い込んで、夜遅くまで語り明かしたのでありました。
え、いい感じに飲んだ後どうしたのかって?
その後、むちゃくちゃ睡眠した。
例大祭参戦決定
こんにちは、燈です。
いつのまにか暖かくなってきましたね。
毎年思うのですが、本当に春は私たちに見えないところでこっそりすくすくと大きくなって、いつの間にか背中をかすめて私たちを追い越して行ってしまうようです。
今年も春はやってきません。ええ…(遠い目
まずは告知から!
今年も例大祭にでるよ!
スペースはH01bになります。
島はいつもどおりマリアリ!!イヤッハァァァァアアアアア!!!!
今回も絵本の新作は出すんですが、
今年のRealize-ArtsはIT化を進めておりまして、何か面白いものを出すかもしれません(し、出ないかもしれませんッ!!)。
また近くなったら告知を出しますので、よかったら遊びに来てくださいなです。
近況を書いておきますです。
①3月から仕事を始めたよ
短いニート生活だったぜ…
3ヶ月ばかりプログラミングの勉強をして、3月からしがないIT土方を始めました。武者修行ですね。以前、本ブログでも若干触れましたが、農業支援サービスを作りたいんで頑張り始めました。今年の冬くらいをめどになんか作ります。夏コミに受かってたら、ゲーム作って出します。うわあ死にそう。
②ソシャゲの類をやってみたよ。
カード集めとかマジやるきないんですが、たまたまリリースしたばかりのラインストラテジゲームを発見したのでちょっとやってみました。
「メルクストーリア」というゲームです。結構面白いのはいいんだけど、やたら時間食うのが難点だよね…いやまあそういうふうに作ってるからそうなるんだろうけどさ… 時間ねえよ。お金もねえよ。無課金なめんな(ドヤァ。
…すみませんでした。もしやってる人とか始める人とかいたら教えて下さいな。支援に行きますよ。
③絵とかあんまり描いてないよ
いやまあ一応書いてるんだけど、まだ内緒なので内緒です。
④鬱かったよ
いやあ酷かったですね。前向いて生きよう。人に嫉妬するの止めよう。ちゃんとアニメ見よう。マリアリ本を読み返そう。心にいつも百合を!
OK!明日もボクは生きられる!!
ええと、はい、こんなかんじです。
毎日覚えることばかりで大変ですが、私はけっこう楽しく生きてます。
いつもいつも、イベントその他であなたと出会えることを楽しみにしてます。
ではでは。
東日本大震災から3年経って
明日で東日本大震災から3年ですね。
節目の時ということで、日本全国を歩いてきた私が、東北と日本の未来について考えていることを話したいと思います。
私は、正直、東日本大震災が起こって、本当に良かったと思っているんです。
いや、もちろん良いわけがないんですけど、
私は小学校の頃から(もう20年前だ!)環境問題に興味を持って、ずっと勉強したり活動したり働いたりしてきたんですが、3年前までは「きっと日本はこのまま、自然環境・人口・経済・政治など様々な問題を先送り先送りにし続けて、いいとこあと50年くらいで滅びるんじゃないかな」と思っていたんです。
でも、東日本大震災があって、日本の多くの人たちが、リアルに、現在と未来のことについて考えるようになったんじゃないかと思うんです。
「地域とはなにか」「国とはなにか」「自然とはなにか」「環境とはなにか」「経済とはなにか」「産業とはなにか」「人間とはなにか」「幸せとはなにか」「生きるとはなにか」
それぞれ程度はともあれ、多くの人がこれらの事柄に直面して、自分なりの解答を持つように、持たざるをえないようになった…んじゃないかと私は思っています。
復興とはなんでしょうか。
壊れた街を作りなおして、海水をかぶった畑で野菜をつくるようにすることでしょうか。
税金をたくさん使って、避難している人を呼び戻すことでしょうか。
私は、物や街の復興はしなくていい、いや、するべきでないと思っています。
本当に、人の幸せを考えるならば、物的な復興はするべきではないと思っています。
これから人口・経済が縮小していくことが確定している日本において、地方都市にお金と人を使うことは間違っています。
壊れた街は棄てるべきです。
ものすごいバッシングされそうですが、ちゃんと言います。
壊れた街は、廃棄物の処理など最小限の労力・金額(それでもすさまじいロスですが)しか掛けるべきではないです。
例えば、私はこれから「新陸前高田(適当な名前をつけました)」で生きようとは思いません。妻も子供も恋人もいない私ですが、経済的に文化的に圧倒的に停滞が免れない地域で余生を送りたくありません。
関東地方に避難してきている人はどうでしょうか。もちろん個別に感情はあるでしょうが、たとえば私が小さな子供を持つ親であったなら、絶対に戻らないでしょう。3年間、都会の学校で子供を勉強させることができたのならば尚更です。しかも帰ったところで、もうかつての街はないのです。いったい誰が好き好んで、浦島太郎の真似事をするでしょうか。
↑酷いことを言いました。ごめんなさい。でも私の本音です。
いま、大きな予算をかけて農地の復興をしようとしています。
立派なことです。すごい技術力です。
でも、一体誰がそれを望んで、誰が耕すのでしょうか。
私は(うちにも多少農地あるし、残すつもりだけど)、畑を耕す労働に自分の一生の時間を捧げるのは絶対に嫌です。
お前はなんて罰当たりなやつなんだ、と言う人もいるでしょう。
じゃあ、お前がやれよ!! と私は言いたいと思います。
これは小学生の喧嘩ではなくて、極めて当たり前な問いかけです。やりたい奴はやればいい。でも自分のお金と時間を使ってやれ。それ以上でもそれ以下でもない。
就活生に聞きたい。人生の残り70%くらいを農業に費やせるのかと。
新入社員に聞きたい。何らスキルの身につかない労働をずっと続けたいのかと。
中堅社員に聞きたい。ごくごく僅かな収入で誰と生きていけるのかと。
年配の社員に聞きたい。…そろそろ引退しない? と。←笑うところ
私は畑はある程度はやるつもりですけど、はっきり言って、とても投資効率が悪い生き方だと思います。全くオススメできません。やりたい人は自分のお金で自分のためにやって欲しいです。応援はします。
また、私は輸送コストや移動コスト・そのために消費される資源という観点からも、地方都市を全く推奨していません。
経済成長期ならばいいと思いますよ。でも、いま、ゆるやかな撤退戦をしようとしているこの国で、戦線を遠くに維持しておける余裕はないんです。
「どこに行くにも一人一台、車が必要だよね」とか言ってられる時代ではなくなったんです。
そのコストを、誰も払えなくなります。
私はそうなった町や村をたくさん見てきました。
こんな酷いことを言っていますが、私はなにもエアコンの効いた部屋でテレビを見ながら言っているのではありません。これでも、数多の街を歩いて民俗学をベースに人間と自然との関わりを自分なりに考えて行動してきた男です。私は今、ある意味自分の理想を裏切るようなことを言っています。でも、そのほうが絶対に多くの人の未来の幸せにつながると思っているので言いました。
3年が経ちました。
私たちは、自分たちのすぐとなりで東北の悲鳴を聞き、日本の未来かもしれない姿をそこに見たのではないですか。
私は見ました。見てよかったと思います。
考えることが、できました。
私は、他人の不幸を他人事として考えることの罪深さを背負い、私は心から東日本大震災が起こってよかった、と言います。
未来の為に生きよう。
未来を見て集まろう。
未来に向かって働こう。
あの大きな悲しみが、未来の日本と世界を生かすことを私は願っています。
杜の奇跡21お疲れ様でした!
行ってきました、仙台!
今回は行きも帰りも夜行バスでした。
仙台に着いてわかったんですが、ちょうど野球の決勝戦があったんですね。
早朝から街中がすっごくソワソワしてました。
マックで時間を潰しつつ、杜の奇跡突入!
今回は無事に新刊も出せました!
色合いや仕上がりもいいかんじ☆
ねこのしっぽ様、いつもありがとうございます。
ここ半年くらいネットもリアルも全然制作してなかったので、前評判も何もないんですが、今回色々な方に見て喜んでもらえたのでよかったです。
今回、東方オンリーじゃなくて男性向け全般である杜の奇跡に出ようと思ったのは、東方厨ぎっしりの空気じゃなくて、他のいろんな作品を楽しんでいる人の空気を感じたかったからなんです。その目論見は、確かに達成されました。とても楽しかったです。
イベントとは別に、面白い出会いもありました。
当日、あいすくりーむ洋装店様(http://icecream.cosplay-japan.net/)からパチュリーのバッジを頂いたんですが、せっかくなので私のエプロンの胸に付けて、そのまま仙台市街をふらふらしてたんです。で、ヨドバシカメラに入ったら、いきなり、店員さんのかわいい女の子に「そ、そのバッチは…!」と声をかけられて驚いたんですが、聞いてみると以前そのバッチを洋装店様と一緒に作って活動していたそうです。あらびっくり。
さすがに店内お仕事中に同人誌を押し付けるわけにも行かなかったので長話はできませんでしたが、どこかのイベントでエンカウントできるかもしれませんね。
あと、イベント後に行った銭湯で会った人と帰りのバスの中で遭遇(しかもお隣の席)したりと、なんとも不思議な縁が生まれる街です。
来年春も開催するそうなので、また新しいお話を作って参戦したいですね。
今回出会った皆様、ありがとうございました!