たまにはアニメ評でもしようか

 はい。
ここんとこ、ほんとアニメ見てなくてですね、こないだ原稿からの逃避で見始めた俺妹とかヨスガとかが楽しくて楽しくて仕方ないんですよ。
で、昨日、ヨスガノソラを最終回まで見たんだけど、ちょっと思うところがあったから書いておくね。

※以下ネタバレあります。


 最終回まで見終わって思ったのが、結局、実はヨスガノソラ(アニメ版)の主人公って委員長じゃね?ということでした。あの男キャラ(燈は男性キャラの名前をほとんど覚えない)を含めてもいい。
 俺の心にすごく残ったのは、(ソラ×ハルももちろんおいしくいただいたのだけれど)最後の委員長のセリフ
「気持ちがあれば、本当になんだっていいの? それなら、私だってやりたいことたくさんあったよ…!(大体こんな感じだった)」
 アニメの平行世界の中で、委員長だけがハルと結ばれなかった。委員長もハルが好きだったのに。では、委員長はこの「気持ち」以外のどんなことによってハルと結ばれることができなかったのだろうか。まあ、たとえば社会常識とか。ソラ×ハルは普通に近親相姦だしねぇ。でも、たぶんそれだけじゃない。隣のお姉さんのレイプや、お嬢様ん家の家庭の事情や、なんやかんやもたぶん、「何か」に関係してる。
 あるいは個人的な部分になっちゃうだろうけど、委員長の「勇気」か?私、燈は、こうじゃないか、と思うのだ。委員長がハルと結ばれないたった一つの原因、それは
すなわち、「物語」ではないか、と。
 この物語は、ストーリーとかお話って意味でもあるし、価値観の体系、と言ってもいい。あるいは、「テンプレ」や「お約束」と言えるかもしれない。もしくは制作委員会・監督さんの決定ともいえるかもしれない。委員長はたぶん、「それ」に従うことで、結果的にハルと結ばれるエンドにはたどり着けなかった。
 委員長が、他の女の子たちと違って「それ」に従うことができたのは、もしかしたら「それ」が委員長には、委員長だけには見えていたからなのかもしれない。物語を物語の中から見ることができた、という意味では、委員長は一人のフレデリカと言えるかもしれないし、それはきっとアニメを見ている私たちも同じことなのだろう。
 だがここで想起されるのは、このアニメの冒頭のシーンだ。諸君らは覚えているだろうか。第一話でハルとソラが自転車で町にやってくるシーンを。始めに、初めにハルと出会った少女が誰であったか。そう、委員長なのだ。委員長の「気持ち」のすべてはここから始まったのだ。顔を真っ赤にして立ち上がる委員長かわいいよ。そのあとは、各エピソードでハルを気にするそぶりをたまに見せる委員長。だが、委員長は物語の枠をはみ出ることはできない。だってそれは違う人の物語だから。委員長の物語は、彼女自身の物語は、ハルと出逢ったときに始まって、そしてまだ、始まってない。
 委員長が僕らに伝えていること、それは、想いの力で物語の枠を超えること、常識の壁を破ることの大切さだ。だが、それよりも委員長が自らを犠牲にして顕したことがある。それは、物語を超えるには、僕たちの想いの力はあまりにも脆弱だってこと。気持ちが一番大事?でも、そんなの乗り越えてからならいくらだって言える。私は、私は幸せになることができないのか!?委員長の悲痛な表情からは、そんな辛い心からの叫びが聞こえてくるようだった。

 そんな感じ。ソラかわいいよソラ。俺シスコンだし。
今回は本気で意味不明だったね。

 一応もう一回書いておこうか。
コミケ2日目、東2ホールS-20a『Realize-RED』で出るよ!!
新刊・既刊あるよ!みんな来てね!!
みたいな。