これから気仙沼にいってくるよ

 はい。

 ぶっちゃけ、いま思い返してみると、やっぱり3月のあの日から私はだいぶおかしかったんだろうと思う。
誰かが「もう何を描いてもファンタジーを描けない」なんて言っていたけど、私もそう思う。

 あの日あのとき、昭島のイトーヨーカドーにいたんだけど、初期微動の段階で「あ、これはヤバイな」と思って建物を出て、20秒で店に帰り、揺れながら売れない地デジの前まで行って、そして私は目をそらした。

 あれからきっと私は目をそらしたままなのだろう。

 普段の私の性格なら、真っ先に被災地に対してなにがしかのアクションをしそうなものだけど、私にできたのは、ただ、つぶやくことだけだった。

 ああ、この日からきっと日本の情報環境がシフトするんだな、という予感だけあって、私はここからそれを眺めやるだけで。

 うちの会社ではラジオ局と協力したり、自慢のトラックで実際に被災地にものを運んだりして、いろいろと貢献していたし、私だって手を挙げればなにがしかの助けにはなれたのかもしれない。でも、私はきっと目をそらしたままだった。

 私は自分の眼でみて、自分の耳できいて、自分の鼻でかいで、自分の手でふれたものからじゃないと何も生み出せないと思ってる。だから、あの日からこっち、私はきっとただ一つの幻想も生み出せていない。



 そこに立ち止まったままなのは、被災地の人たちだけじゃない。



 あれから3か月がたって、私はようやく少しだけ前を向き始めるようになった。

 その場所に行って、そこの人の声と波の音を聞いて、風の匂いを嗅いで、空気の温度を感じて、そこにあるものを食べて、それではじめて、わたしは3月11日以降の世界を見れる。

 私は、私があの日見なかったものを見に行きます。



 ボランティアなんてできない。

  私は私のためだけに、これから東北に行ってきます。